2017年

2月

08日

時の流れの中で 2017年2月8日

 

私が小学生の頃からあった古い富樫の市営プールが今年3月で営業停止となり、新しい施設として城北市民運動公園内にできる金沢プールになるらしい

 

現在は、毎日ジムのプールに通っている私だが、ジムの休みの時、たまに今でも子供の頃遊んだ富樫のプールに泳ぎに行く事がある。

 

 

古いプールだが、更衣室も懐かしい

 

今はもちろん室内の温水プールを利用して泳いでいるのだが、

 

子供の頃は、夏に友達を誘って行った冷水の屋外プールだった。

 

ここで覚えたスイミングの楽しさ

 

そういえば小学生の頃、ここ富樫の市営プールで遊んでいて泳げるようになった私。

 

初めて水の上に浮いた嬉しさは、初めて自転車に乗れた幼い頃の喜びと共に今でも覚えている。

 

体が水に浮けるようになったら、泳げるようになり水の中は楽しい

 

今、スイミングをしている人達の中には、還暦を過ぎる頃から、講習を受けて泳げるようになったスイマーも多いが、私は子供の頃からゆっくりだが息が続く限り泳げた。

 

 

今では毎日泳ぐが日課になり、健康を維持している。

 

 

健康で好きなことが出来る今の生活に感謝。

 

そして今でも、子供の頃に浴びたシャワーの水の冷たさも覚えている

 

今のシャワーは温水だから、もちろん冷たくはないが…今では懐かしい思い出。

 

 

現在毎日1.5キロを続けて泳ぐ習慣が日課となっている私。

 

もちろん泳いでいる日のほうが体の調子が良く、泳いだ後の壮快気分は格別

 

やはり泳ぐのが今でも好きらしい。

 

 

富樫のプールが無くなるのは寂しいが、時代の流れではしょうがないね。

 

 

 

 

父母も亡くなって、実家の兄は古い家を壊して、同場所で新築にする計画らしい。

 

洋服はもちろん父母の使った家具も要らないという事で、兄は、タンスや茶棚も廃棄処分するとの事だ。

 

タンスや茶棚、もったいないが誰も引き取り手はない。

 

新しい家で、今の時代に応じた生活をするためには、古い家具の廃棄も仕方ないのかもしれない

 

 

 

自分にとって大切だったものも、いつか無くなり変化し、新しいものが次々生まれ、時の流れは止めることができないと思うと、つくづく時代の流れを感じざるを得ない。

 

これから先、我が家も「断捨離」という言葉が、脳裡をかすめた。

 

 

 

 

 

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思い出も、形が無くなると忘れるようになるかもしれないが、

 

文化を引き継ぎ、次世代に受け継がれていくものと考えると、いつの時代も、一番大切なものは生命に他ならないだろう

 

 

次の時代に何を残すかは、歴史の中での教訓、知識や文明、文化遺産、とか…

 

基本となる生活や人の感情は常に変わらないから、過ちや教訓を忘れ、同じような過ちを繰り返すことが多いのかもしれないが、人間の知恵は計り知れない。

 

 

文明や戦争で地球環境を壊すことなく、これからの未来に希望を繋げたいね。

 

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2016年

12月

15日

母が亡くなった 2016年12月3日

 

2016123日、病院に入院して一ヶ月で、96歳の母が亡くなった。

 

 

 

ショートスティ先で、鼻血が出たとの事で緊急入院したのは113

 

兄からの電話で母が入院した事を聞き、病院に駆けつけると母はベッドに寝ていましたが、以外に元気そうで安心した。

 

鼻血の検査入院なのか?肺炎になるかもなんて…よくわからないが?

 

心臓もあまり良くないとか…

 

その日病院の昼食時、ベッドに食事が運ばれて来た

 

母が好みそうなおかずだったが、手元がおぼつかない様子だったので、私が食べさせた。

 

ゆっくりだが、半分以上もよく食べたので安心して帰る。

 

 

 

二日後、孫二人を連れて夫婦で病室に見舞いに行くと母の様態が急変していて、苦しそうだったのに驚く。

 

気になりながらも、とりあえず病室を出て、もう一度夜一人で母を見舞いに行った。

 

やはり苦しそうな様子は昼と変わりなし

 

看護師になんとか、母の体を楽にしてあげられないかを訊いてみるが、先生の処方箋がないと、できないとか…

 

母はどうなったのか、食事も拒否し、水分のみとなっている。

 

 

 

三年前94歳の父の死も、この病院だった。

 

たまたま入院中病院内で、父が一人でトイレに行き、転倒し、鼻の骨が折れた。

 

私が見に行った時は、父はベッドに縛り付けられていたのだった。

 

病室に行くと、手を動かさないようにとの病院の配慮で縛りつけられていたのだが、

 

その時の父は「手の紐を解いてくれ」と私に苦しそうに懇願した。

 

あまりにも可哀想なので私は縛ってある紐を解いた記憶がある。

 

すると看護師が、「鼻の固定が外れる」と言って、また父の手を縛って去っていった。

 

居たたまれなくなって、病院を後にしたが、その後その入院先で父は死んでしまった。

 

父はベッドに手を縛られて苦しかったのだ

 

死んでしまうなら、手の紐を解くべきだったと今更思う。

 

 

 

今度は96歳の母

 

その後点滴のみとなってしまった。

 

死ぬ前の苦しみは、させたくない。

 

その日から毎晩母の病室を見舞った。

 

ドライブに行った思い出や楽しい事だけをよく話して聞かせた。

 

いつも「大丈夫、痛い事はさせないからね」と言って母を安心させるように努めた。

 

その間、若い男の看護師二人が母のオムツを替えに来る事がある。

 

若い男の子がオムツ交換なんて、初めて知ったが、オムツを替えた後、母はなぜか顔をしかめ、様子が苦しそうに見える。

 

毎晩、帰る時は「明日も来るね」と約束して帰った。

 

 

 

点滴のみで三週間が経った。

 

担当医は、兄と兄嫁と私に、母の〈胃ろう〉を勧めたが、母の気持ちを思うと、そんな事は絶対したくない。

 

「もう一度頑張ってみる?」と母に尋ねた時、顔を歪めて嫌と応えたのでした。

 

しかし、その担当医との話し合いの二日後に母は亡くなってしまった。

 

午前中まで、様態は変わらなかったのだが、午後オムツ替えの後、心臓が急変したそうだ。

 

ひょっとすると、母は若い男の看護師二人にオムツ交換されるのが嫌だったのかもしれない…だからオムツ替えの後、弱っていた心臓が苦しくなったのかもしれない…と思った。

 

 

 

トイレも食事も出来なくなっても、生きながらえる事がどんなに苦しい事か…もし自分だったら絶対死を選ぶだろうと感じた。

 

 

 

話は変わりますが、

 

三年前父が亡くなった時、その翌年一月に、生前父の一番仲が良かった従妹が亡くなりました。

 

私は、その仲が良かった父の従妹の葬儀に出席して、帰り際、菊の花を一輪もらって来たのでした。

 

硝子の花瓶に生けた菊を見ながら『この菊が枯れる時、おばちゃんとお別れだね』と心の中で呟いた想いがあります。

 

ところが、その時の葬式に貰ってきた菊が、三年経って今も枯れないで我が家に根付いていたのです。

 

それも、花瓶に入ったままの状態で、根が花瓶の底にはびこって、茎から新芽が出ている状態の菊を、どうしたらいいのか?

 

根を土に埋めたほうがいいかも、と考えたが、

 

やはり硝子の花瓶に入れたままの状態で置いてありました。

 

 

126日は母のお葬式が行われました。

 

 

火葬場で骨にしてもらう間、たまたま、私が座った場所に亡くなった父の従妹の息子さんと向い合せになり、

 

何気にその菊の花の話をして、

「あなたのお母さんの葬式の時頂いた菊が我が家の花瓶に根付いているから持って帰って」とお願いしました。

 

息子さんも、菊の話を聞き驚いた様子で、きっとお母さんの菊だと思ったのでしょう。

 

快く我が家の花瓶に根付いた菊を持ち帰ってくれました。

 

 

父との仲の良かった従妹の息子さんが自分の家に菊を持ち帰ったのは、丁度、母のお葬式の日でした。

 

 

母が天国の父の元に行った日、

父の従妹の菊を私の手元から息子さんに返したのでしょうか…

 

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27日

悲しみ色の絵具

msyoのソフトで書いた字
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